30代窓際商社マン日記@資産運用/育児などなど

30代サラリーマンです。総合商社に勤務、3人家族。投資・資産運用、育児、ニュース、映画、ガジェットなどについて、日々の感じたことを記録していきます。

私が窓際社員になった理由

皆さん、こんにちは。

 

突然ですが、私が窓際社員になった理由を記載したいと思います。私は、入社した当初、会社でトップクラスの営業利益を誇る部署に配属されました。

 

上司は厳しく、営業はエースの社員、新入社員は雑用といった具合の徒弟制度のような部署でした。「これが社会人かぁ」と、とりあえず文句を言わずに頑張りました。(愚痴ぐらいは言ってました。)

 

コツコツした努力が報われたのか、海外赴任のチャンスを得ました。赴任先では、日本とは異なる文化に磨かれ、商社マンになった実感を噛み締めながら、日々、業務に従事しました。

 

海外赴任から帰任するタイミングで、以前、所属していた部署の隣の部署から、「うちに来ないか」と誘いを受けました。私も中堅として、会社に必要とされる人材になったと、少し誇りに感じました。色々な関係者と話しあい、隣の部署に戻ることになりました。

 

隣の部署での仕事が始まってみてわかったのは、隣の部署の状況が非常に厳しい状況だったことです。若手社員が育っていない、基礎収益となるとような商売を確立できていない、来期に向けての種まきもできていない、っという状況でした。

 

大変なところに来てしまったなぁ、と思いながら、「こういう状況だからこそ、私は必要とされたんだ」と奮起しながら頑張りました。上司も私を頼りにしており、とにかく、新規案件があると、やってくれ、と頼まれました。休日返上、残業喜んで、といった具合に頑張り続けました。

 

しかし、その部署が成績不振を理由に解体となったところで、事態は急変します。解体となった部署の人間は、マネージメント層が、恣意的に決めた人事によって、バラバラとなります。ただ、それぞれが自分の担当業務と一緒に異動した為、みんな部署が変わっただけという具合でした。

 

ところが、私だけ、自分が担当していなかった業務(業務A)と一緒に新部署に行くことになったのです。業務も部署も新しい環境なので、一から勉強し直し、心機一転頑張ろう、と思ったのですが、やっていくうちにわかってきたのが、業務Aは、そもそも専任担当がいなかったのです。というのも業務Aは、成長性がなく、ある担当が片手間でやっていた仕事だったのです。

 

マネージメント層は、そこまで理解していなかったので、業務Aに専任をつけてしまったのです。ここからが地獄の始まりです。いろいろ試行錯誤して、どうにか営業利益を出そうとしてもうまくいきません。

 

上司にもそれはよく説明して、納得してます。但し、いざ計画などをつくると、「厳しい業界環境で難しいのはわかるが、専任となっているのだから、なんとかならないか?」と言われるようになります。

 

私も頑張ってみますが、やはり難しいので、状況を説明します。そうすると、上司から「なんとかならないか」とまた、言われます。これがずっと続くのですが、そのうち、「お前が保守的すぎるのではないか?」という議論にすり変わってきます。

 

手前味噌ですが、入社以来、それなりに高い評価をもらってきましたが、新しい部署ではそんなのは関係ありません。数字が伸びないと、周りからもあの人は、さぼってるのでは?という雰囲気が形成されていきます。(本当に皆さんがそう思っているかはわかりません。)

 

そんなこんなで窓際社員となっていきます。要約すると、窓際社員と言われる人は、その人の能力、気概がないから、そのように言われてしまうのではなく、業界環境や人事異動によって、そうなってしまう人もいるということです。

 

サラリーマンって辛いですね。こんな時に、支えとなってくれるのが、配当金です。裏切らずに毎月、私に応えてくれます。精神的にも、高配当株への投資はメリットがありますので、皆さんも是非。

 

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。